Conestoga wagons 大型幌馬車

英語面白物語-1061:06-30-’15

(Amusing English Story)

Conestoga wagons

大型幌馬車

幌の付いた大きい6頭立ての馬車を西部劇などで見たことがありますか?あの馬車のことを「コネストガ・ワゴン」と呼ぶ。ワゴンは4輪馬車のこと。母音で終わった形容詞の単語なので英語出身でないと推われるでしょう?その貴方の推測は正しimageいのですよ。実はペンシルバニアのアメリカ先住民の住んだ谷の名前から来ている。しかし、このコネストガの谷は、実はずっと前に絶滅したイロクォイ種族(Iroquois)からきたもので、ペンシルバニアの種族の物ではない。

 それはさておき、1700年代の後半ぐらいごろから、ヨーロッパから移民してきた人々は広大な未開拓の土地、すなわち西部地域への開拓移動を始めた。東海岸は移民がどんどん流入してきて土地が思うように手に入らなくなってきたし、直ぐ近くに何だか奇怪な言語を話す態度の悪い異邦人が引っ越してくるしで、もっと「肘を張ってもお隣にぶつからない」(enough elbow room)広い白紙の無限の機会を与えてくれる西部地域なのであった。

「西へ、西へ」(“Go west, young men!”)と言うのが、スローガンになって、1848年から始まった西海岸地方での金鉱発見の噂が全国規模で広がって、大きくて重い幌馬車では速度が遅く間に合わなくってきた。

当初の時代の幌馬車は、最初コネストガの谷にある小さな村の馬車などを修理したりする鍛冶屋兼馬車屋が、ある日突然(かどうかは歴史書では不明だが)、家族全員(当時は8~12人と言う大家族は少なくなかった)が長距離の旅が可能な大型の6頭立ての馬車を開発したのである。将来の需要に対する先見の明があったのかもしれない。

このコネストガ・ワゴン(photo)は長距離用として非常に良く考えられたもので、道なき道の草の深い(中途半端じゃなく、人が隠れてしまうほど)平原や、雨が降ればぬかるんで、(特にこのことを考慮して広くした)車輪が簡単に埋まってしまうような状況だとか、野生の猛獣(ハイエナ、熊、ヤマネコ、野犬、オオカミ、ガラガラヘビ、サソリと数えきれない)が簡単には内部に侵入できない工夫などがさimageれていたのである。6頭の馬(スペアの馬はたくさん連れて行った)に引かせるものなので、馬力は6馬力である。一つの馬車に8トンまで荷物を積めるように作られていたと言う。日本の路上を走っている8トントラックをもう一度見てください。その大きさが分かるでしょう。家族も10人以上は寝起きできるほど内部には工夫があり、乾燥した豆類や塩漬けの豚肉を中心にした食糧を家族分積み込めるほど設計が良くされていたと言う。

風呂などは夢のまた夢で、雨が来れば素っ裸同然で皆体を洗い合った。大きな川、例えばミシシッピー等は湖以上に広いので、浅瀬を求めて何日も右往左往する。小川だと、風呂だから飛び込む。食事用の水の補給をする。馬も犬(今の優雅なペットじゃなく、いざとなれば食用になるし、野獣に対する警報)もガブガブと飲む。アメリカ・インディアンは毒を使うと言う種族ではなかったことが白人開拓移動民には幸運であった。川上に一滴落としておけば、死ぬまでもないが、次からの川が恐ろしくて飲めなくなる。

特に、インディアンとの遭遇を想定してライフルでの撃ち合いになると、弾が容易に貫通しないように馬車の横板は固い高価なマホガニーの木を使った物もあったと言う。銃弾でも貫通は困難であった。当時の西部地域の種族は東と比べて遅れており、ヨーロッパ人のライフルは、ほんの少数がメキシコ経由でスペイン製のものがimage手に入る程度だったことから、彼らの伝統の武器はトマフォーク(hatchet=戦闘用の手斧。接近用の武器)と投げる槍と弓矢であった。疾走する馬上から幌馬車の裏に隠れた憎っくき白人侵入家族(侵略者と思われていた)に向けて放つ槍や矢は跳ね返り、標的の人間に直接当たらない限り殆ど功を奏しなかったと言う。

 大型の幌馬車で獣道[けものみち]を探しながら進む探検的な旅(当初の頃は2~3カ月掛けて東海岸か西海岸にたどり着いた)は、過酷を極め、大きい集団では300人~500人と言う大集団で、自然の脅威と災害の中を進んだのである。

特に、記録に残されているのは、底なしの沼(quick sand)にはまり込んだことを知らずに、鞭を入れて進もうとすると、馬が泣き叫びながらゆっくり御者の目の前で土の中に沈んでいくのを見てこの世の地獄だと感じたことが記録されている。6頭立ての大きな馬車がそのまま飲み込まれて姿を消したのである。(これまでは、The American Pageant. A History of the Republic by Thomas A. Bailey, Stanford Universityから抜粋)

例文:A: “I’m going to be relocated to Siberia.

                「辺鄙なところに左遷されることになったよ」

 

B: “What?! That boss of yours, right? F_ _ k him!”  

「な、なんだって?!お前のあのボスだな?ちくしょう!」

 

A: “We’re going to take Conestogan wagon to   there.

「我々はそこには幌馬車で行くつもりだ」

 

B: “I know what you mean. Your family spend enough time on the way  and enjoy everything between,correct?

「言う意味は分かった。家族で途中たっぷり時間を取って、それまでのありとあらゆるものを楽しもうと言うわけだ、だろう?」

A: “Yeah, something like that.

「うん、そう言うようなものだよ」

B: “Good for you,…and your family!

「いいじゃんか・・・お前の家族にも」

注:going to Siberiaはアメリカイズムの一つで、一旦送られたら地獄で、生きては帰れない米ソ冷戦時代に生まれたビジネス分野の言葉だが、今でも使われる。ある意味ではロシアに抑留された日本兵の体験もあるので感じは理解できるもの。本社から極寒の地方支部に送られるサラリーマンの哀愁の響きがある。日本語では「左遷」がぴったりの言葉。

(拙著: 読んで笑う辞書―『アメリカでは何故そう言うのでしょう?―WhyDo They Say Like That in America?から抜粋)

WATCH

A: “Hey, what happened to you? You’re trying to wipe off your tears over the glasses.

B: “Oh, yeah, right. You know I was wrong about Jim. The other day, my boss accused me of pocketing a pitty cash, but he stood up for me.

Note: wipe off one’s  tears over the glasses=megane no uekara namida o fuku, stood up for me=kabatte kureta

Author of this blog: M. James. Maeda of 「浦嶋ビジネス英会話インターネット道場」http//urashimamaeda.wordpress.com

カテゴリー: Amusing English Story パーマリンク

コメントを残す